「正義の味方チャリティー2」能見達也さん
2017年09月08日
先日、「能見達也さんを偲ぶ会」に参列しました。実は能見さんとお会いしたことは少なく、面識もないに等しい。部外者といっていいけれど、唯一、僕の手元には「正義の味方チャリティー2」にご協力頂いた能見さんの最後のサインがある。。ただ、それだけかもしれないことに色んなドラマがありました。。。
とても長文ですが書き留めて置きたいと思います。。
チャリティーが決定した時、超電子バイオマン|ピンクファイブの牧野美千子さんが「皆から貰ってきてあげるよ〜!」とポストカードをたくさん持っていってくれました。牧野さんはいつもサバサバとして男前なのです。しばらく経ち、「舞台で共演してる能見さんからもらったよ〜」と写真が届きました。基本的に5枚でお願いしているのですが、牧野さん、間違って6枚渡し、渡されるまま能見さんがサイン・・・でも、絵柄面に書いてあるのに気づいて宛名面にもお願いしてくれました。結果的に2種類ある能見さんのサインが裏表に入ることに。。「1枚多くなったので個人的に取ってくれてもいいよ」と言われたのですが、この取り組みではたくさんのサインが僕の手元に届きますが、実は1枚も個人的にもらっていません。それもあり、「全部チャリティーに使わせて頂きます」と返事しました。
それから数ヶ月経ち、牧野さんに会えないまま能見さんの訃報。。与える影響、衝撃が強すぎて・・・どうしていいのかわからずに、能見さんのチャリティー参加は一旦保留にしました。
時間が経ち、東京出張となり、これも巡り合わせなのか、僕はテンマレンジャーの羽村英さんをモデルに絵を描いていて、原画を羽村さんのお店「蒼星の天馬」お届けに上がりました。そこで能見さんのチャリティー参加の件で相談しました。「能見が生前にやりたいと思ってやったことなので是非そのまま参加させて下さい。問題が起こるようなことがあれば俺に言って下さい」・・羽村さんの回答はいつも簡潔で的確です。そして「ただし、1枚だけ徳さん、そのサインを持っていて下さい」と言われ、ハッとしました。。5枚でなく6枚だった能見さんのサイン。。。そして牧野さんが何気なく言ったことがこんな形で生きてくるなんて。。1枚を手元に置いておく決心をしました。もちろん、これはチャリティーとして僕が購入して寄付をします。
翌日、牧野さんと喫茶店で会いました。気持ちがザワザワしました。能見さんのサインを頂く。。。牧野さんも今日までサインを見れなかったと・・封筒に入ったポストカードを取り出して初めて実際の能見さんのサインを手に取りました。。
・・・・・とても、とても小さいのです。サインが。。
今回のことはショックで悲しい出来事だったのですが、涙を流すとかではありませんでした。それまで遠い存在だった能見さんが、グッと近づいてきて、まるで隣に座っているような感覚になり、サインを見た瞬間涙が止まりませんでした。もう、人前で恥ずかしいくらいに。。
牧野さんは貰った時に「いいの?こんな小さくて?ダイレンジャーとか入れないの?」とか聞いたのですが能見さんは「僕のはこれでいいんですよ」と答えたのだそうです。。それから能見さんの想い出、牧野さんの後悔など聞きながらずっと二人で泣いていました。。
その夜、僕は超新星フラッシュマン|グリーンフラッシュの植村喜八郎さんと会う約束をしていました。喜八郎さんにもモデルになっていただいていたので、絵を届けるために。。喜八郎さんが指定した場所は、羽村さんのお店でした。。偶然が重なります。。牧野さんと会って泣いた後だけに、羽村さんの顔を見るだけで涙が出そうになりましたが、グッとこらえました。やっぱり喜八郎さんからも能見さんの話が出て。。。本当に皆に愛されているんだなあと感じました。
そして、頂いたばかりの能見さんの最後のサインも羽村さんに見てもらいました。一枚一枚じっくりと見て、頷いて返してくれました。。言葉でなく、気持ちがとても伝わってきました。
余談ですが、お店を後に喜八郎さんと駅のホームに入ると、喜八郎さん、真顔で「能見だ!」と言って指を指しました。すると向かいのホームにベンチに座って足を組んで本を読んでいる青年が、顔立ちはもちろん髪型からいい、その佇まいがビックリするほど能見さんソックリだったのです。。。僕でなく喜八郎さんが驚くくらいだから。。。その日は能見さん一色の一日でした。
重甲ビーファイター|ブルービートの土屋大輔さんにも相談して、能見さんの「正義の味方チャリティー2」への正式参加を決定し、能見さんの四十九日を待ち発表しました。能見さんのサインは僕の家の仏壇に置いて、毎日手を合わせています。
ーーー
後日「能見達也さんを偲ぶ会」のお誘いが来ました。関係者の方々が多いであろう会に呼ばれたことにまず驚きましたが、大阪という距離と個展のスケジュールもあり、即答は出来ませんでした。
でも、結果的にいつもは個展で忙しい9月に隙間が出来、別件で東北へ向かう用事も出てきて、偲ぶ会に参加できることとなりました。なんとなくそういう流れになっているんだろうなと思いました。。。
一つだけ、僕の心の中にずっと残って離れないことがありました。最初に目に飛び込んできた小さなサイン。。。引っ掛かりながらも特に解決策もなく日は過ぎて偲ぶ会のお誘い。。参列することぼんやり考えながら、能見さんのサインは持っていってポケットに忍ばせておこうと思いました。
また、ハッとしました。想いが強くなり、とても失礼かもしれないと思いながら僕は羽村さんに連絡しました。そして、理解してくれました。。同時に「正義の味方チャリティー2」のエントリー期間の延長を決心しました。
その答えがこの写真です。まるで能見さんの小さなサインがこうなることがわかっていたように、大きな隙間にダイレンジャーの皆さんが集まりました。。。羽村さんが偲ぶ会会場で手配くださりグルグルとメンバー一人一人の手に渡り、寂しかったサインがとても賑やかに。。。まるで能見さんのサインが喜んで踊っているよう。。羽村さんから頂き、和田さんと挨拶して、また泣きました。
牧野さんが遅れてやってきました。挨拶しましたが人気者の牧野さん、次々と皆さんが牧野さんの前に現れ近くにいるのになかなかつかまりません。閉会の知らせが入り、意を決してお声掛けしました。
「牧野さんから頂いた能見さんのサイン、こんな形になりました」
見せた瞬間、牧野さんが止まりました。色んな思いが駆け巡ったんだと思います。その姿を見て僕はまた涙が溢れ喋れなくなりました。
お願いした僕も、動いてくださった牧野さんも、能見さんご本人も、サインしたことでこんなたくさんのドラマが生まれるなんて思っていなかったと思います。結果的に能見さんの最後のサインは、ダイレンジャー全員の最後のサインとなり、やがて僕の手元を離れていきます。きっと関係者、友人の皆さんの方がもっともっと、色んな想いやエピソードがあると思います。それだけに何度か書いては「やっぱり僕が語ることじゃない」と思い消してました。
ただ、6人の仲間がハガキの中で集まった奇跡を見た時、伝えた方がいいと思い綴りました。
能見さんはもちろん今回、携わった皆さんへ
夢をありがとうございます。皆さんから頂いた夢は必ず形にしてお届けします。
徳治昭童画館 徳治昭
ーーー
「能見達也さんのサイン、変更のお知らせ」
能見さんのサインは「能見さんとかけがえのない仲間たち」へと変更になりました。
かけがえのない仲間たち
和田圭市さん(リュウレンジャー)
羽村英さん(テンマレンジャー)
土屋圭輔さん(キリンレンジャー)
高橋夏樹さん(ホウオウレンジャー)
酒井寿さん(キバレンジャー)
「正義の味方チャリティー2」(サイト上の画像はまだ変更できていません)
http://dougakan.net/?p=7997