あくしゅをありがとう

2019年01月19日

個展のとき、展示するしないにかかわらず、必ず会場に持っていっている絵があります。
2014年に完成した作品「あくしゅをありがとう」の想いを綴ります。

これは今は亡き友人、畑佳孝くんが残した詩を題材に描きました。

美大の後輩で卒業してからずいぶん経ってから出会いました。絵本作家、イラストレーターを目指し、志半ば、2007年に30歳という若さで脊髄腫瘍で亡くなった畑佳孝くんのことを決して忘れないし、新たに知ってほしい、そんな気持ちで描きました。

この詩を知ったのは2006年の彼からの年賀状でした。とても美しい詩で彼の絵も添えてあり、直筆で僕の身体の心配までしてくれていました。。。僕は彼の気持ちを知るよしもなく。。

自分の余命を知り、そして生まれた詩。。。のちに彼の家に行き、仏壇に手を合わせてご両親に話を伺いました。この美しい詩の内側にとてつもない苦しみ、恐怖があったのを改めて知りました。

絵描きを志した彼だからこそ、この年賀状のような魂のこもった作品は彼にしか描けません。僕もこの詩に絵をつけるということは思い浮かびませんでした。

だけど、友人の書家の晴花seikaさんが彼の詩に影響を受け、書にしたいと話が来て、ご両親に繋ぎました。快諾頂いて、彼女は書にしました。そして僕は書を観て絵を描こうと決心しました。

今まで、こういった題材で絵を描く時、深く沈み、産みの苦しみがすごくありました。。。覚悟していました。

だけど、意に反して僕の頭に浮かんだのは「今までと違う何か」ではなく「いつもの自分」でした。深く考えているのにイメージがすぐに浮かんで来てしまう。。描き始めても筆の乗りがすこぶるいい。。。静的な表現で考えさせられるような作品・・・が、動きが出て、もっと色をつけたくなった。。。

・・・彼が来たんだと思った。

この世にいない彼を偲んで、湿った絵を求めていないんだと思った。もう降りてくるまま任せるしかない。それでいて「僕の絵」になっている。 あっという間に完成してしまった。

それ以来、展示するしないにかかわらず、必ず会場に持っていっています。
会場によって、レイアウトによって展示出来ないこともあるけれど、そばに置いておきたいのです。

次の会場では出しているでしょうか。。

僕は彼と握手をしたのか、覚えてません。でも彼との別れがあってから人とよく握手をします。それはこの詩があったからなのです。そして彼の分まで筆を持って描き続けよう、苦しい時も楽しい時も、そう思うのです。
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「いつまでも」畑佳孝

あくしゅをありがとう
勇気と元気と優しい気持ちを
ありがとう

家族の手
葉っぱの手
みんなの手
心の手

あくしゅをありがとう
安心をありがとう

僕は生きるよ
大好きなみんなが住む
地球と一緒になる
その日まで

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