牛の解体見学

2011年10月31日

牛の解体を見学してきました。映画で観たと蓄はオートメーション化
されたものでしたが、今回は昔ながらのと蓄場で、あらゆるところで
手作業でした。解体場所も牛を一頭分バラすくらいの広さ。
晴天の日に自然光が差し込み妙にぽかぽかしていましたが、そこにある
器具はのこぎりなど殺伐としたものがありました。
一頭の牛が入ってきた。感じたのは、とても大切に扱われていたこと。
「家畜」という表現とは間逆な、神聖なものを扱うような。。

映画ではピストルのようなもので額を打っていたが今回の場合は
特殊なハンマーで眉間を打ち気絶させていました。
なんでも心臓が動いているうちに解体して血を抜かないといけない
とか。。解体の作業員が牛を落ち着かせ、牛の目に手を当てた
瞬間、そのハンマーは打たれました。この手を当てる行為が
人間的に感じ、今でも目に焼き付いています。
一瞬の出来事。まるで糸が切れたように、下に落ちるように
ドン!と牛は沈みました。その後はあざやかなものでした。
生き物から肉に変わっていく。首から切り落とされ、逆さに
されて血が大量に流れていました。すぐさま水で流しているの
ですが、窓からさす日光と相まって、不謹慎かもしれないが、
流れ出る血が綺麗にさえ映った。。。腹から皮を剥いでいく。
その作業はまるで職人芸を見ているようでした。
次から次へと解体され、内蔵が取り出されそれぞれの部位に
分けられて作業員が手で洗浄。
最後は外に出した皮に塩をまぶす作業を見学。これをすることで
皮にある毛細血管の血を吸い取るとのこと。この皮は太鼓に使う
ようです。
流れ的に2時間くらい。僕はジっと見入ってました。僕にとっては
貴重な初体験だけど、日々の食卓には絶えることなく色んな肉が
消化される。それに比例して解体作業が行われている現実を
もっと知らないといけないと思った。子供たちも一度見ておくと
見方が変わるのではないだろうか。今は親のほうが先かも知れない
けど。

僕は2004年に絵本「もぉ〜うしです!」を描きました。
「牛は鳴き声以外捨てる所がありません」がキャッチフレーズで、
牛から何ができるかを解説している文字のない絵本です。原作のうしの
えほんをつくる会のメンバーと打ち合わせを重ねていくうちに牛を通じ
て食の大切さ、命の大切さを学びました。
その絵本は学校教材としても使われ、今なおその話を皆さんと語り合う
ことが多いです。
今回、その頃のメンバーの方も数人居て懐かしかったです。もちろん、
お誘いが来たのも当時のメンバーからです。絵本ができてこの場に来た
ことの必然に感謝の気持ちでいっぱいです。
この牛の肉は今回の参加者に分けられます。
当たり前のようにうちの食卓に並ぶ牛肉を僕は当たり前の言葉で
食します。

「いただきます」

肉は、残せなかったです。

“牛の解体見学” への 2 件のフィードバック

  1. たろへ@たにし より:

    “映画ではピストルのようなもので額を打っていたが”
    打額銃(だがくじゅう)と言います。圧搾空気を使って鉄製のスパイクを打ち出し、牛の頭蓋に穴を開け脳を破壊します。映画『ノーカントリー』で殺し屋のシュガーが使っていたのも、この屠殺用の器具です。
    昨今ではBSE問題もあり、海外では、こういった器具は使われる事無く、主に電気を使った「安楽死」によって、屠殺を行っています。

  2. 徳治昭 より:

    たろへ@たにし様、コメントありがとうございます。『ノーカントリー』は僕も観ました。今はじめてその意味がわかりました。今日は本当に貴重な体験ができました。

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